幸せって、なんだろう。


激動の2022年が過ぎ去り、新しい年となって半月あまり。

ロシアはまだウクライナを侵攻し続け、

歴史的ともいえるインフレが世界中を駆け巡り、

その余波がいまだに続いている。

 

国内では新型コロナウィルスの収束は見通せず、

政治と宗教の問題が顕在化するなど、

いままで当たり前と思っていた「常識」が、音を立てて崩れていった。

 

これまでの価値観を、個人も企業も国(行政)も転換しないと、

日本という国が劣化していき、個人の幸せも持続できないのではないか。

そう思わざるをえない。

 

では、何を拠り所にすればいいのか?

そのヒントがあるとするなら、

「well-being(ウェルビーイング)」という考え方であろう。

ウェルビーイングって、聞いたことあるなぁ、という方も多いかも。

SDGsにも組み込まれていて、

最近よくビジネスワードとしても使われるようになっている。

 

※well-being(ウェルビーイング)とは?

「well-being(ウェルビーイング)」:直訳すると「幸福」「健康」という意味。ウェルビーイングの定義でよく引用されるのが、WHO(世界保健機関)憲章の前文の一節↓

“Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

“健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます”(日本WHO協会仮訳)

 

つまりウェルビーイングとは、肉体的にも精神的にも社会的にも、

すべてにおいて満たされた状態が「幸福」であり「健康」である

ということらしいが、しかし、なにか漠然としていて、

じゃ具体的にどういうことがウェルビーイングなん??といいたくなるね。

病気で弱ってても、「幸福」「健康」といえるのか???と突っ込みたくなる。

確かに、闘病中でも家族の献身的な看病のおかで肉体的、精神的に辛くても、

幸せを感じることはあるだろうが、そういうことも含まれるのだろうか。

 

私なりの解釈で恐縮だが、ウェルビーイング(=幸せ)とは、

一病息災(特に年齢を重ねてからは)でも

ほどほどのお金(仕事)があり

周りに迷惑を掛けない趣味や娯楽を楽しめ

家族や友人、近所や地域社会と良好な関係を保っている、ことではないだろうか。

 

そして何より大事なことはそれらを支える社会経済システムが

公平に真の民主主義のルールに則って運用されていること。

 

今年はもっとウェルビーイング(=幸せ)な生き方と社会を

求めていこうではないか。